初期の頃のテレクラどんな場所だったの?リンリンハウスの現在【昔の出会い】

※アフィリエイト広告を利用しています

初期の頃のテレクラってどんな場所だったか知りたくありませんか?
現在の出会いに繋がる「出会いのルーツ」 
”またたび” が今こうしてエロ猫ハメ撮り師として大きくなったのも「テレクラ」が発祥。

そんなテレクラですが、その灯は消えようとしている。最後の砦となったリンリンハウス最後の2店舗の現在。

皆やっていた昭和の遊び「出会い系の今と昔」避けて通る訳にもいかず。振り返ってみようと思います。
携帯も無い時代の話。若い方はこんな出会いもあったのかと思って聞いてもらえればと思います。全てはここから始まった・・・

また50代前後の通っていた方達にとっては「そんなのあった!!」と思ってもらえる大変懐かしい話になっております。どうぞ最後までお付き合いください。

この記事を書いている人

「またたび

2022月からブログ開始の副業エロブロガー
AV好きの50代社畜リーマン
AVが好きすぎて自分でもハメ撮り作品を自作
ハメ撮り・AV情報・ハメ撮り教室・出会い系攻略など執筆中
素人好き

目次

テレフォンクラブ(通称テレクラ)

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テレクラとはいったいどんな場所だったのか?

知らない人の為に簡単に説明しておくと電話(家電)を通じて匿名の人々が話し合う、一種の電話交換サービスです。
(初期の頃はまだ携帯電話も存在していなかったです。)

参加者同士が電話を通じて様々な話題について会話する場で、会話の内容は主に趣味や興味・日常の出来事・人間関係・仕事・学校・悩み・エッチな相談と多岐にわたり利用者によって異なる。

自分の身元を隠したまま、匿名で他の参加者と話をすることができたため、自由な話題が多かったですね。また孤独感を抱える人々が参加することが多かったため心の内を打ち明ける場としても機能していたような気がしてます。

どんな場所

1985年頃から登場した業態。店舗型で男性は店舗に通う。畳1.5畳~2畳位の個室(今でいうならネットカフェの個室のような部屋)

初期の頃は間仕切りで仕切った個室で隣の部屋の話も丸聞こえの簡単な個室でした。天井も足元も隙間が空いていて ”べニア板で仕切ったような店舗もありました”。

しばらくすると綺麗で広めの完全個室たるものの方が主流となる。テレビ・電話・ビデオ・ティッシュなどが常設してあり電話がない時はエロビデオを観たり、雑誌を読んで時間を潰す。

ここで気を付けなければならないのがAVを見てオナニーしてしまうと戦意を喪失してしまうので気を付けなければならなかった 笑

男性は時間ごとに料金が掛かり女性からの電話を待つ、店舗にもよるが10部屋から30部屋くらいの店舗が多かった「それでも週末は満室の時もありましたからね」

女性は自宅の電話または公衆電話などからフリーダイヤルをもちいて電話をし店舗にいる男性とつながるシステム。「今で言うツーショットダイヤルみたいなもの」

店舗毎の電話番号はおもに雑誌広告・街で配布されるティッシュ・看板等で広告を打っていた。それを見た女性が電話を掛けてくるという流れ。

このサービスは、過去には電話が主流のコミュニケーション手段だった時代に流行したもので、特に孤独な人や社交的な場が欲しい人々に支持され爆発的に店舗数が拡大されていきました。

参加者は電話番号を通じてテレフォンクラブにアクセスし、そこで他の参加者と話をすることができます。テレフォンクラブによっては、特定のトピックに関する会話を行うグループがあることもあります。(SM回線等)

現在ではインターネットやソーシャルメディアの普及によりより多様な交流手段が存在しているためテレフォンクラブは一般的ではなくなってしまいました。

何を話す場所なの?

掛けてきてくれる女性の大半は暇つぶし・世間話・テレフォンSEX・悩み相談など・・・「これは今とあまり変わりないですね」話がつまらないと突然切られるか、フロントに戻してといわれます。

テレフォンSEX希望の女性だと思わず色っぽい声に♪オナニーしてしまいこれもまた戦意喪失になるため注意が必要だったが、生声だと我慢できないなんて事も・・笑
尚、テレフォンSEX希望の女性とはほぼ会えない!気が済むと突然電話を切られるのだ!!
(会わないから大胆だったんだろうね!)

また会うことを目的にしている女性も多く、店舗の近くの電話BOXから掛けてます。なんてことも割とよくあった・・・「このパターンはかなりの確率で会えました」

ネットも普及していない時代ですので女性の警戒心が今とくらべるとかなり緩かった気がします。

話が始まると「こんばんは!」「いくつ?」「どこからですか?」なんて切り出していくわけだが・・・そこから話を膨らませていくのだ!

一時間位話し、誰似?とか特徴を聞いてメモを片手に会いに行く展開「そんな流れでした」

時間帯

午前中は主婦。昼から夕方に掛けては学生。夕方から夜に掛けては仕事帰りのOLなど・・・

店舗の個室の壁には時間ごとのコール数を示した表みたいなものが貼ってありました。

土曜日のPM11:30以降は電話がかなり鳴った!
これはねるとん紅鯨団が終わったと同時に鳴りだす現象で。少しオカルトでしたけど、本当によく鳴っていたいたんですよね。

ねるとん紅鯨団とはとんねるずが司会を務めていたお見合い番組

その時間帯に合わせ店舗に行っていたなんてことも多かったですね。

料金形態

その当時の料金は店舗にもよりますが、

1時間3000円出入り不可
2時間5000円出入り自由(取り次ぎ制)
基本料金

1本目を受けてから時間がカウントされるという店舗が多く、今とはちがって夜中も営業していましたからオールナイトコースなんてのもありました。

出入り自由の場合は一旦外出し、すっぽかされた時などは時間内に戻ればまた再開できる。

新宿のリンリンハウスは当初から1時間/800円の「早取り制」歌舞伎町に行くと聞けたリンリンハウスの入会金無料1時間800円♪♪という繰り返し流されるアナウンスが今でも耳から離れない。

現在はこんな感じ

出典:テレクラリンリンハウス

システム

取次ぎ制とは

一度店舗側が女性の電話を受け待機している客に電話をまわすというもの

※店舗によっては電話が2台設置してあり、取り次ぎ・早取り制 両方出来る店もありました。

1本目の電話を受けてから時間がカウントされていた店舗が多かった

早取り制とは

掛かってきた電話を一番早く取った客が話せるというスタイル(早い者勝ち)料金が安めなのが特徴

両スタイル共に一長一短はあるが早取りが苦手な方は取次ぎ制の店舗を好み、早取りを得意とする方は1時間/800円の店舗でもかなりお得に遊べたのではないかと思う。

ちなみに私は早取り制の店舗では取れないまま店舗を後にする事も・・・

なので取り次ぎの店舗の方が好みでした。

音が鳴る前に電話が光るんだけど、早取り店は上手く取っちゃう猛者がいたんですよね!
どんな世界でも凄い人っているんだなぁ!!って思っていましたww

当時3万円位の機械で「早取り君」みたいなネーミングの機材がラジオライフの広告に出ており、もの凄くほしかったのを覚えてます。「これを設置すると光に反応してフックが瞬時に上がるという機械」

当時、高くて買えなかったです(;_;)

また早取りの店舗では連打フックという技も横行してました!

やり方は受話器を上げた状態でフックを指で押さえ一定のリズムで上げ下げする行為。こうすることで音が鳴る前に電話を受けることができました。

ただし繋がったとしても、また押してしまい切ってしまう事もしばしばあり、この行為を禁止する店もおおかった。(機会損失につながるため)

連打フック禁止!の張り紙を貼っている店舗も

こんな話わからないですよね?若い方は (-_-;)
つまらなかったら飛ばして下さいネ。

続けます・・・

時代背景

私がテレクラを知ったのは20歳の頃 

現在はTwitterをはじめSNSの出会いが主流ですが 「またたび」がこの道に進んだ20代の頃は女性と出会うといったら合コンかナンパしかなかった。そんな中、テレクラでの出会いというのは当時画期的で衝撃的でした!

メディアの影響

確かTV朝日のトゥナイトという番組の木曜日・山本晋也監督のコーナーで紹介されていたのを見たのがキッカケでした。

また現在のパパ活を題材にしたドラマ同様にテレクラもドラマになってました!

当時TBSで西田敏行主演(恐らく黒歴史)
TBSの金曜日の22時代のドラマですよ!相当脚光を浴びていたということがわかります。

新宿・渋谷・池袋から全国に広がっていき ピーク時には全国で3000店舗www

1995年の青少年保護育成条例を皮切りに様々な規制が強化され徐々に衰退の一歩を辿ることとなり現在にいたる。

今ではあり得ない背景

初期の頃は高校生でも利用でき会う事も可能でした。ルーズソックス・援〇交際がブームになっていた頃です。

並行してダイヤルQ2・伝言ダイヤル・ツーショットカードなんかもあり徐々に社会問題になっていきましたね。

今では見る事の出来ない裏物の問題作(辻作品・全国援〇シリーズ・スタービーチ援〇等のビデオ)もこの頃に制作されたものが多くテレクラや出会い系サイトで知り合った本物素人の作品だ。

関西援〇スタービーチ援〇
廣島援〇ミツルの大冒険
福岡援〇まにあ投稿
北海道援〇辻作品
千葉援〇素人志向
埼玉援〇出会い系物語
新横浜援〇カナヤマン
京都援〇ホットラインストーリー
宇都宮サポート援〇援〇交際白書
一部を抜粋

今ではお目にかかる事は困難↓ですが、そんな時代を物語っていたのがよくわかる。

っていうか、おぃおぃwww⇓😅
(もう二度とお目に掛る事は無いと思っていた名作が・・・💧)

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一部ですが、凄いの見つけた😅わかる人にはわかると思います!(ちなみにここは安全なサイトです)
凄いのだけリンク貼っときました💦マジかよ?!

また女子高生がブルセラショップにパンツや制服を売っていたり、買う客もいて高田馬場界隈ではかなりの盛況ぶりをみせていた。

病院の待合室や映画館で煙草が吸え、ゴールデンタイムのテレビ番組で女性の裸が放送されていたそんな昭和な時代。

今では考えられないですよね。

関東にあった店舗

現在関東で営業している店舗はリンリンハウスの池袋西口店・日暮里店のみだ。

テレクラ店舗(関東圏)

  1. テレフォンショッキング
  2. Who are you
  3. Be
  4. With
  • ホットライン
  • バレンタインコール
  • リンリンハウス(現在2店舗営業)

マックスグループ(出会い系でお馴染みのPCMAX18禁が運営元)

当初は単独店でしたけど、買収や合併による統合

現在に至る

アフィリエイト
  • ボイスメイト(群馬)
  • ぺんぎんハウス
  • いちごクラブ
  • ホンキートーク(千葉)
  • マハラジャ
  • ゴリラ

※どこに有ったかは覚えていないんですけど名前だけ覚えている店舗

上記の店舗は一部ですが、関東圏ではチェーン店でかなりの店舗数を誇っていました。私が良く利用していた店舗は

バレンタインコール日暮里店
池袋店
川越店
上野店
目黒店
朝霞店
With巣鴨店
池袋店
吉祥寺店
ホットライン国分寺店
三鷹店
長岡店
Be1池袋店
渋谷店
一部を抜粋

車での移動が多かったので都内だと駐車料金が高いという理由で郊外か深夜帯の時間が多かったですね。仕事もしてましたし・・・
個人的には多摩エリアが最強でしたね!

おまけに車にナビなど無い時代

歩きの時は新宿・渋谷・池袋といった場所で公衆コールを狙っていました。

実際の店舗数はもっと有りましたが覚えていません。今となってはStreetsugar発行の全国テレクラMAP・三才ムック発行のテレクラ楽勝ガイドなど捨てないでとっておけばよかったと後悔しています。

何せネットと言ってもまだまだ主流ではない頃ですからこういった指南書が必要でした。

こんなブログ記事を書くとは思ってもいませんでしたのでつい5年程前に全部捨ててしまいました。
ちなみにStreetsugarはハメ撮り記事も多く掲載された雑誌でやはり当時からハメ撮りには興味があったのがうかがえます。

福岡にミントCという店舗は今でも健在。
出会い系サイトで有名ですね。今でも使わせてもらっています!(Jメール)

おまけ

凄くうる覚えの話なんですが、当時どこかの店舗でサウナの奥がテレクラになっていた店舗を見掛けたような気がします。千葉か山梨じゃ無かったかな?凄いですよね!風呂あがりにガウン着たまま電話するんですから。

なお、今回紹介しているテレクラ系列の出会い系サイトも特集しておりますので参考ください。

まとめ

何かと話題の多かったテレクラですけども、時代の流れとともに風前の灯というのも何とも寂しい限りです。

携帯も無い時代ですから約束した日に直接会いに行くか家の電話番号をゲットしその後連絡をしてデートの約束を取り付ける。「普通に教えてもらえてましたね」といったものでした。

それでもかなり出会えちゃってたんですよね!不思議なくらい。
90年代前半の頃までは割と純粋な出会いだったんですよ。普通にデートとかしてましたし・・・

この頃と言うのは女性も男性も会ってエッチするというよりも凄くまっとうな出会いの場だった気がします。

取引先の営業マンもトークの勉強といい仕事をサボって行っていたり。結構利用している奴らが周りにいっぱいいて盛り上がっていましたね。
独特な世界観がありました

そんな成功体験が有ったから次の週末も行く始末。またアポが取れる。それはそれで出会いの媒体が無い頃ですから凄く刺激的で楽しかったです。自宅に呼んでもらったり泊めてもらったなんてことも多かったです 時代ですね。

その反面すっぽかされることは今の出会い系と比べものにならない位多かった。

今は女性の警戒心は高いですが、いざ会う事になればすっぽかし自体は少ない。昔と違って真逆の動きをしているところが何か面白い。
(恐らく携帯電話の有無が影響してるんだなと思いますけどね。)

それでもめげずに毎週通っていました。

一店舗目に行ってはすっぽかされ、また違う店舗に梯子する。そんな週末

もうこの頃になるとエッチする事が目的と目覚めてしまいエッチ目的で活動していました。
もう好きすぎて当時真面目にテレクラに転職しようかとも考えたくらいです。

金銭目的のエッチというのはほとんど存在しなかったのでデート代は負担してしていましたが、エッチしてお小遣いという事は皆無「援〇交際ブームが来るまでは・・・」

この辺から金銭目的に変化して行ったような気がします・・・それから現在の出会いまで「援〇→お助け・お願いあり・諭吉・プチ・大人・パパ活」へと時代の流れとともに変貌を遂げていったんでしょうね。

この辺の言葉の変化も面白ですね!

当初から利用していたおっさん連中ならわかると思いますが、お金を払ってエッチをすることに面白さを感じなくなってしまい、この辺りから足が遠のき出して出会い系サイトにシフトしていきました。
「だって簡単じゃないですか!そこには何も口説きのテクニックもいらない訳ですから。」

毎週誰かに会っていて。セフレも多くいた。「まぁ若かったので・・・」単純計算で月平均4人の女性と会っていたと考えて×10年間・出会い系サイトも含めると気が遠くなる位の人数と会って来た事になりますwww

何故このパワーを仕事に活かせなかったのか(-_-メ) 正直いくら使ったかわかりません。蔵が建つ位かも・・・

最終的には活動拠点も関東圏では収まらずに地方の店舗に移行。これは当時見ていたビデオ(カンパニー松尾氏)の影響でしたね。「東北・北陸・甲信越」に足を延ばしたりと・・・また関東とは違った独特の面白さがそこにはありました!

「またたび」のエッチな活動の源になった監督作品の特集記事も書いてます。

全てが良い事ばかりではなかったですけど色んなドラマがあり、それが何か妙に楽しかった!

失敗談は何れ・・・

時間が巻き戻し出来るのならその当時に戻ってみたいものです。

最後に行ったのはいつ?

最後に行ったのは7年位前、今はもう無いですけど、リンリンハウスの千葉店竹ノ塚店 確か千葉には近隣に2店舗あったんですよね。(テレクラ無き今もう千葉に行く用が無くなってしまって少し残念だけど、撮影でまた機会があったらお邪魔したいですね!)

電話はあまり鳴っていなかった印象でした。面白いのがその時、久しぶりに行ったテレクラで2週連続でまた会えちゃったりしたんですよ。それもかなりの美人の若奥さんww

一人の方はお店の前で待っていてくれていたからメールとかアプリとか回りくどい出会いが面倒だったんだろうね!まぁこんなミラクルな事があったのがテレクラ・・・

そんなミラクルなネタを▼下記の記事でも書いてます。こちらは少し変わった成功体験

▼テレクラを引退しようかと思った失敗体験

今残っている2店舗はどうなんでしょうかね?この2店舗にはずっと生き残ってもらいたいです!

関東最後の2店舗 もしかしたら素敵な出会いがあるかも知れませんよ!!皆さんも一度行ってみてはどうでしょうか。たまにはアナログな出会いなんて!!

最近、通りかかったんだけどまだやってた😎一安心

当時利用していたおっさんしかわからないマニアックな話になってしまいましたが、今回はこの辺で・・・

またテレクラネタ書きます!

それでは”また たび”

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